2006年 11月 08日 ( 1 )

2006年 11月 08日
F1:2006年シーズン総括 その1
 八百屋がこのブログを開設したときには既にF1の2006年シーズンは終わっていました。(^^ゞ前回のブログのハンガリーGP以来、レビューはやっておりませんが、その後も全レース予選・決勝ともビデオに収めて見ていました。
 波乱の展開や、一つの時代の終幕など、今年のF1は色々な意味で大きな変動があった1年でした。いくつかの項目に分けつつ、今年を振り返りたいと思います。



■ ミハエル・シューマッハーの引退

 今年は何と言ってもこれに尽きるだろう。正直、アロンソの2年連続ドライバーズタイトルも色褪せてしまうほどの衝撃だった(アロンソファンの方ごめんなさい)。 
 遅かれ早かれ、この状況がやってくるのは予想できたものの、やはり現実のものとなると大きな動揺が走った。1990年からF1を見ている八百屋としては、ミハエルのデビュー戦から最後までを見届けたことになり、来期のグリッドに、ミハエルがいないことは何とも思い浮かべにくい。

 今年はミハエルの進退に大きな注目が集まっていた。シーズン半ばで発表があるだろうといわれていたミハエルの去就は結局モンツァまでずれ込んだ。現在の噂を総合すると、引退の意向を伝えていたミハエルを、フェラーリ側が何としても引き止めたかった、と言うのが通説になっている。
 加えて、ライコネンの加入を早期に知らされていたミハエルとしては、フェラーリ残留を考えにくかった側面があるかもしれない。これまで、絶対的なナンバーワン待遇を受けていたミハエルが、ライコネンの加入により事実上ジョイントナンバーワン制に移行。こういった長年の体制と決別しなければならないと言うリスクも、ミハエルには受け入れがたかったものかもしれない。

 引退の裏側をつつくのはこれくらいにして、今年のミハエルは、本当にポイント、もっと端的に言えば優勝にこだわったドライビングが多かった。この辺も、察しのいいファンは"今年で引退するかも"と思われたかも知れない。モナコGPの予選のアクシデントは、良し悪しは別として意地でもアロンソを阻止して流れを変えたいという、本当にリスクのある行為だったと思う(ミハエルのとった行動を擁護しているわけではありません、悪しからず)。以前、チャンピオンを争ったヒルやヴィルヌーブに対しても"前科"を持つミハエルだが、今年の勝負へのこだわり・執着心は今までのものとは異質な感じがした。あまりにもリスクが大きく、今までのセーフティーでクレバーなミハエルのドライブとは一線を画していた。
 とにかく、勝負に、ポイントにこだわった1年だったと思う。ハンガリーのインターミディエイトを履き続けて、コースにステイしたギャンブルも、見るものにとっては、「なんて馬鹿な真似を」と言った批判も多かったが、八百屋としては、単純だからかもしれないけど感動してしまった。これがレースの醍醐味なんだと…

 そう、ミハエルは今年、本当にレースを楽しみたかったんだと思う。回りの喧騒や、政治的圧力なんかも多々あったと思うが、F1パイロットの、ミハエル・シューマッハーが自分のF1人生の最終章は、納得のいくレースがしたい、そんな気持ちが伝わる走りだった。モナコGPやブラジルGPの驚異的な追い上げなどは、見ていて鳥肌が立つほど素晴らしかった。とても、今年で引退する人が見せるパフォーマンスとは思えなかった。

 それでも、ミハエルが引退する事実に変わりは無い。ミハエルの今後について、色々な発表がなされているが、恐らく彼がF1に復帰することは考えられないと思うし、関り方もこれまでのような表立ったものではなくなるのではないだろうか?そんな気がする八百屋だ。(一説では彼のパーソナルスポンサーとの契約の絡みで、本当に隠居、と言うことは出来ないらしい)

 セナ亡き後、F1と言う世界を1人で背負ってきたミハエル。出場記録以外の殆どの名誉あるレコードを塗り替えた彼が、今ヘルメットを脱ぐ。
 これまで我々に素晴らしいドライビングを魅せてくれたミハエルに本当に感謝したいし、F1ドライバーをリタイアした後の第2の人生に幸多からんことを願いたい。

 最後に、かのデビューしたジョーダン時代での有名なエピソードを紹介して締めくくりたい。
 1991年、ベルトラン・ガショーの代役でベルギーGPよりデビューした、ミハエル・シューマッハーは、当時、その年に発足したばかりのジョーダン・フォードチームからデビューした。ジョーダンは、数年前まで、エディ・ジョーダンがチームオーナーとして黄色いマシンを走らせていたことでも記憶に新しい。佐藤琢磨も1年間ジョーダンでドライブしている。そんな、発足1年目のチームでミハエルは、予選7番グリッドと言う、とてつもない快挙を達成する。当時、ジョーダンのチームメイトだった、ベテランのチェザリスが11番手だったことを考えても素晴らしい結果だ。
 そんなミハエルが、ジョーダンでのフリー走行の際、エンジニアにこんなことを言われたという。
「ペースが速すぎる。エンジンの回転数を落として走れ!!」
と。ところがミハエルは
「指示されたとおり、エンジンの回転数は落として走っている!!」
と反論。エンジニアがテレメトリーで確認したところ、本当にミハエルはレブをセーブして走っていたのだ。つまり、それほど彼のラップはフリー走行から際立って早かったということだ。

そんな彼が、次戦のイタリアGPからフラビオ・ブリアトーレ率いる当時のベネトンに引き抜かれ、また当時のチームメイトだった、ネルソン・ピケを凌ぐ走りを見せつけ、彼のサクセス・ストーリーは始まっていく…同時に、ピケはミハエルに勝てないことを悟り引退を決意したとも言われている。


 これほどまでの記録を作ったドライバーが現われるとは今後考えにくい。アロンソが、ミハエルを凌駕することが出来るかは、また次の機会に考察するとして、これまで、数々の熱いシーンを我々に提供してくれたミハエルに本当に感謝したい。
 彼は、F1が続く以上、永遠に語り継がれるドライバーとして、その名を歴史に、記録に、記憶に残していくだろう。

 そして、惜しむらくは…
 A・セナとの、白熱のバトルを是非見てみたかったと今でも思う八百屋であった。
 
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by R-130 | 2006-11-08 14:45 | ∟F1 2006 other issue