2007年 01月 02日
サッカー:八百屋的2006年の出来事10選(その2)
(前回に引き続き、第4位からの発表です(^^ゞ)


■ 第4位 W杯、イタリア優勝

 並み居る優勝候補の脱落を横目に、組み合わせに恵まれた感もあるがイタリアことアズーリが20年ぶりの栄冠に輝いた。まずは守備ありき、このポーズは今年もかわらなかったが、攻撃的なタレントをリッピが駆使して、単調なサッカーに終始しなかったという意味では褒められるべき優勝だろう。リッピはクラブシーンでもナショナルチームでも世界一に輝いた数少ない監督の内の1人となった。
 W杯の直前にカルチョ・スキャンダルが明るみに出て、一時イタリアを初めとするヨーロッパ全土が騒然となった。イタリア自国のサポーターからも、ユーベの選手には辛辣な言葉や嫌がらせが起きるなど、非常に辛い時期もあったようだが、リッピは慌てずにチームを結束させたことが最後の優勝へと繋がった。クラブチームの長いシーズンの果てにW杯があることを熟知したリッピが特定の選手に依存しないチーム作りを行っていたのはさすがの一言。今大会多くのチームが特定の選手に命運を委ねた結果、夢半ばにして散って言った結果を見ても、リッピの手腕は評価されてしかるべきだろう。
 もちろん、タレントも粒揃いだった。特に中盤は進境著しいローマ勢の台頭もあってメリハリのついた中盤となり、トニ・ジラルディーノ・インザーギ・デル・ピエロ・トッティと言ったそれぞれタイプの違うFWがそれぞれ自分の持ち味を出して活躍したのも大きかった。そして、カンナバーロ、ブッフォンを始めとするカテナチオも健在。ベスト16で10人になりオーストラリアにがけっぷちまで追い詰められたが、それを跳ね除けて勝ったことが、優勝へと繋がったのだと思われる。

 一方の、優勝候補と目された、ブラジル、アルゼンチン、イングランドは揃ってベスト8で敗退。ブラジルは史上最強のタレント集団ともてはやされながら、結局らしい試合は見られないまま大会を去った。アルゼンチンは、グループリーグの圧倒的な攻撃力で一躍優勝候補の筆頭となったが、ホスト国のドイツ戦でペケルマンが采配を誤り、優勝には至らなかった。イングランドに至っては、リーグで素晴らしい活躍をしていたランパードとジェラードが沈黙、ルーニーは8年前のベッカムを髣髴させるような退場劇でイングランドの進出にブレーキをかけた。そして何より、タブロイド誌のおとり取材にひっかかり、代表選手のあること無いことをべらべら喋ったエリクソン。彼の信頼の失墜が、何より痛手だったに違いない。



■ 第3位 日本代表 2得点7失点、勝ち点1の最下位でW杯を去る

 02年W杯はホスト国ながら1位通過でベスト16に名乗りを上げた日本代表。4年後がまさか勝ち点1、しかも得点は僅かに2(うち1点は相手のオウンゴール)で、W杯を去るなどと誰が予想したであろうか。
 しかも、この3大会の中で間違いなくタレントが充実していたであろう日本代表は、ジーコの実質"ノープラン"とも言える筋の通らない選手選考と、4年と言う期間を実に無駄に使いきり、結果をどぶに捨てた。
 思えばアジアカップも、コンフェデも、選手個々の閃きと、運で勝ち抜けたようなものであった。まだ結果がついているから我々はその事実から眼を背けていただけなのだ。これは協会を始め我々も大きく反省すべき点である。
 結果が全てではあるが、結果が伴っても内容が伴わなければ駄目である。と言うことを再認識しなければならない。ちなみに結果が伴わなければ、何をかいわんや、の世界であることも付け足しておく。
 JFAはそのことを肝に銘じておかなければならない。オシムの後任候補はもう絞れているのだろうか。正直2006年のオシムのやり方はとても賛同できるものではない。が、半年そこらで何が出来るといわれれば確かにそうなので、アジアカップまではとりあえず見てみようと思う。しかし、アジアカップで勝てないようならすっぱり更迭すべき。今の選手なら、やり方次第ではドイツ大会のような無様な結果にはならないはずだ。
 
 本来ならば、06年のW杯の結果を受けて川淵は辞任すべきだ。その辺の責任問題があやふやである以上、代表に多くを求めるのは難しいのかもしれない。
 それでも、セビージャの項でも述べたが、監督が変わればチームは劇的に変わるのだ。監督に間違いが無ければチームはそれなりについてくるはずだ。
 
 とにかく、2010年までの期間は残り3年。幾許の猶予も無いのである。



■ 第2位:CL06-07 セルティック、中村のFK2発でマンUに1勝1敗

 セルティックがCL史上初のグループステージ突破を決めた。これに中村俊輔が大きく貢献していることはいうまでもない。特に第5節、難敵マンUをホームに迎えて、中村の値千金のFKで1-0で競り勝ったことは何より大きい。このグループはマンUのほかにもベンフィカと言う曲者がいただけにこの1勝がグループステージ突破を決める1撃となった。
 マンU戦はアウェーでもFKを決めている。この試合は乱打戦の末、最後の守備が甘くマンUに黒星を喫してしまったが完敗と言うゲームではなかった。中村俊輔は、いまやセルティックに無くてはならない存在になっている。スコットランドリーグでは、違いが生み出せる選手としてチームに君臨している。
 あとは彼が代表でどのように活躍してくれるか、これに尽きる。本来はドイツ大会で活躍するはずだったのだが体調不良で、切れ味抜群の俊輔からは程遠かった。
 2010年、彼は日本代表の10番でい続けることができるのか?注目していきたい。



■ 第1位:中田英寿 現役引退

 2006年に入ってから、もう引退を決めていたと、引退が報道されたあと、彼と旧知の中であるジャーナリストが漏らしていたが、我々にとってはただただ驚くしかなかった。
 正直、代表でも精神的にもポジション的にも難しい存在で、中田と他の代表との間には見えない壁があったように思われる。そして、それが、日本が惨敗した理由の一つでもあると思う。
 中田は世界の厳しさを知っていたもののその厳しさをチームに伝えることが下手だった。彼は自分の思いが伝わらないことを察知すると、殻に閉じこもってしまった。
 彼が悪いとは言わないが、やはり一流選手はコミュニケーションも上手だ。彼を二流だというつもりも無いがしかし、WBCのイチローが見せた意外な面でチームを盛り上げていったように、中田にもそれを期待してしまった。それを期待するのが間違いといわれてしまいそうだが…

 ただ、彼が相当のプレッシャーと戦っていたのは引退発表後の手記を見てもよくわかった。サッカーが楽しめなくなったのも致し方なかったのかもしれない。

 ベルマーレ平塚時代から、今までの選手には無い"異質"とも言えるパスの出し手として名を馳せた中田英寿。その後、体を作り、イタリアに渡り語学を勉強し、ペルージャでは衝撃デビューを飾り、翌年は名門ASローマに渡り…と、彼のサッカー人生はこれ以上無いくらい順調かに見えた。
 しかし、パルマに移籍したのがけちの始まり。彼を中心にすえようとしたマッツォーネ監督が解任されてプランデッリがあとを継ぐと地獄の日々が始まる。その後中田がプレーで輝きを見せることは正直無いに等しかった。それは、プレミアのボルトンに渡っても変わらなかった。

 ただ、現役を辞めるとはまったく思っていなかった。
 代表からは退いても、クラブチームでもう1暴れしてくれると思った。
 それだけに、本当に残念としか言いようの無い引退であった。

  しかし、あれほど中田を批判していた自分も、もうそのプレーが見られないかと思うと残念な気持ちでいっぱいだった。最近、スカパーで中田の以前の試合を取り上げており、それを見て鳥肌が立ったのと懐かしいのと不思議な気持ちが同居した。
 やはり、彼は心に残る名選手なんだと、改めて思わせるVTRだった。
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by R-130 | 2007-01-02 21:40 | ∟Football otherissue


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